「第26回沖縄戦・基地めぐり」に参加してきました。
日本生協連・沖縄県生協連主催の「第26回沖縄戦・基地めぐり」(3月31日〜4月3日)にコープふくしまの皆さん4人と参加してきました。
2泊3日の「一般コース」「親子コース」よりも1日多いコースに参加し、たくさんの戦跡と基地を見学することができました。戦跡めぐり(1・2日)には沖縄平和ネットワークの山内榮氏が、また基地めぐり(3日)には同ネットワークの横田眞理子氏が案内役をしていただき、詳しい説明を聞くことができました。
初日3月31日は、各コース全参加者が集った沖縄都ホテルにおいて、沖縄県生協連による「宮森小ジェット機墜落事故」の紙芝居、沖縄県の平和活動の紹介、島袋淑子さんの講演「沖縄戦の体験を聞く
ひめゆり学徒隊」、「若者の取り組み」報告が行われました。なかでもひめゆり学徒隊として看護にあたった島袋さんの講演は、お話を通じて64年前に無念のうちにガマの中で命を絶たれた村人や負傷兵の怨念の想いが今に伝わってくるものでした。
4月1日〜2日にわたって行われたフィールドワークでは琉球大学の山内榮先生が一つ一つを丁寧に、戦争への怒りをこめて説明していただきました。
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対馬丸記念館・・・九州に疎開する多くの学童が乗船し、その途中で米潜水艦に攻撃されて沈没した対馬丸を伝える記念館 |
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ひめゆりの塔とひめゆり平和祈念資料館・・・ひめゆり学徒隊ゆかりの地に建てられた資料館 |
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魂魄の塔、米須海岸・・・戦後、住民の手で最初に作られた骨塚 米軍の放火に逃げまどい、人々は米須海岸に追い詰められた。 |
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韓国人慰霊塔・・・戦死したり、皇軍によって殺された朝鮮人「軍夫」を慰霊して建てられた。 |
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平和の礎・・・満州事変以来の15年戦争で犠牲になった人、国籍や軍人・非軍人を問わず刻銘されている。
その数、240,737人(2008年6月6日現在)。 |
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県立平和祈念資料館・・・住民の立場から沖縄戦の実相を伝える資料館 |
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アブチラガマ(糸数壕)・・・当初は糸数地域住民の避難場所として、その後日本軍陣地や南風原陸軍病院の糸数分室として使用された。ひめゆり学徒隊も移動してきた壕 |
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首里城・・・琉球王朝の王城。沖縄戦の際は地下に壕が掘られて日本軍の司令部が置かれたので、米軍の攻撃を受け焼失した。戦後復元され、2000年に世界遺産に登録された。 |
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嘉数高台・・・日本軍が米軍を迎え撃った高台で、激戦地となった。 |
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池原牧場・・・反戦地主が、基地返還を実現させ、現在畜産を営む牧場。 |
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安保の見える丘・道の駅かでな・・・嘉手納基地を一望できる丘 |
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砂辺馬場公園・・・沖縄戦で最初の本島上陸地、かつての景観は消えたが、2003年に再現された。 |
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チビチリガマ・・・住民が「集団死」(140名中83名が死亡)したガマ。犠牲者のうち約6割が18歳以下の子ども。 |
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読谷村役場・・・1997年、山内徳信村長(当時)が米軍基地内に建設した庁舎。憲法九条の碑がある。 |
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沖縄の歌と語りの交流会・・・北海道出身の会沢芽美さん(プロシンガー)が経営するペンションまーみなーで、平和を訴える歌と語り・踊りに私たちも楽しいひとときを一緒に過ごしました。 |
4月3日は、コープおきなわの元理事・横田眞理子さんの案内役で、移動中のバスで説明を受け、普天間基地の代替基地に予定されている名護市辺野古沿岸地域を見学し、新基地反対の団結小屋で代表から説明を受けました。
その後、沖縄県内最大規模の実弾射撃演習が実施されている米国海兵隊基地「キャンプハンセン」を金武町体育館近辺から金網越しに見学しました。
マスコミ報道等で漫然と情報を受けて、知らず知らずのうちにそれが「真実・正しいこと」のように自分の考え方が形成されていくことの怖さ・恐ろしさを改めて知ることになった「戦跡・基地めぐり」でした。
まだまだ知らない「真実」がある。もっともっと深く知り、感得していくことの大切さ、そしてこれからの世代の人たちに伝えていくことがいかに大事か、軍靴の足音が聞こえてきそうな昨今、想いを新たにしました。(菅田俊雄記)
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頻繁に轟音をとどろかせ飛び交う米軍用機 |
参加されたみなさん |
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全疎開船の慰霊のために建てられた“海鳴りの像” |
104名中83名が「集団死」したチビチリガマ |
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“沖縄の歌と語りの交流会”
切々と沖縄を語るペンションまーみなーの会沢芽美さん |
辺野古の基地建設阻止“団結小屋”で説明を開く |
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立ち入り禁止の有刺鉄線の向こうは普天間基地の代替予定とされる辺野古の沿岸 |
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