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2025ピースアクションinナガサキ 被爆・戦後80年 平和とよりよい生活のために

 8月7日(木)〜9日(土)にかけて、「2025ピースアクションinナガサキ」に参加してきました。 

 コープあいづから橋本登貴子さん、パルシステム福島から小林由美子さんと健悟くん(小学6年生)の親子と事務局(会長)の4名で参加してきました。

 前日の6日夕方、航空券や宿泊の手配をお願いしていたトッパントラベルから電話があり、長崎空港が強風のため、出発日の便が欠航になる可能性もあるとのことでした。参加者とは新幹線の指定席で集合し、覚悟を決めて、羽田空港に向かいましたが、万が一長崎空港に着陸できないときは、福岡空港もしくは羽田空港に引き返すとの条件付きの運行とのことで不安を抱えたまま、予定より30分遅れで羽田空港を離陸しました。長崎空港上空で、何度か旋回を繰り返したようですが、何とか着陸できてほっとしたのも束の間、雷のため、地上作業者が、全員建物内に避難したため、駐機場で待機、さらに遅れて、空港に到着。

 当初予定していた13:30からの分科会をパスして、15:45から始まる「被爆の証言(平和の紙芝居)」の会場である長崎市民会館に直行しました。

 講師の三田村静子さん(長崎県被爆者手帳友の会副会長)は、1941年に長崎市で生まれ、長崎に原爆が投下された1945年8月9日、爆心地から約5キロメートルの自宅で被爆しました。その日、降り注ぐ灰がかかったご飯をそのまま食べた三田村さんは、原因不明の病に苦しみ、体が病弱に。これまで4度、がんを発症しました。一緒に被爆した二人のお姉さんもがんを患い、さらに最愛の娘さんもがんで亡くしました。悲哀を乗り越えながら、手作りの紙芝居を通して、核兵器の恐ろしさ、平和の大切さを語っています。三田村さんが紙芝居を描くようになったきっかけは、子どもたちに、戦争とか原爆とかに関心を持ってもらいたいとの思いからだったそうです。真実を伝えたいとの思いを込めて作った作品の数は現在20作品以上に及ぶとのことで、今回は2作品を紹介していただきました。三田村さんのお話の後、質疑の時間がござましたが、なかなか発言がない中で、健悟くんが、満を持して、三田村さんのお話の感想と戦争をなくしたいとの思いを告げると、三田村さんもこうした子どもさんがいることがたいへんうれしいと健悟くんの顔を見て、微笑んでおりました。

 その後、生協平和のまち歩きとして、平和公園内を巡るコースに参加しました。

 大学生と高校生、中学生の若い平和案内人ガイドが、自分たちで作成したと思われる資料や写真を使いながら、それぞれの被爆遺構を案内してくれました。

 まち歩きの最後に、長崎原爆資料館を見学し、初日の日程を終えました。

 二日目は、早朝、平和公園に出向き、準備した折り鶴を献納してまいりました。

 その後、長崎市役所の多目的スペースで開催の「継承者による被爆の証言」をお聞きしました。

 講師は、被爆三世の原田小鈴さんです。

 原田さんは、広島・長崎「二重被爆者」の祖父 山口 彊(つとむ)さんの体験を、母の山崎年子さん、息子の晋之介さんとともに家族で語り継いでいます。

 また、広島・長崎両方の原爆投下機に搭乗した米兵の孫アリ・ビーザーさんとの共著『「キノコ雲」の上と下の物語:孫たちの葛藤と軌跡』(朝日新聞出版)を7月に出版。長崎大学平和講座非常勤講師をされているとのことでした。

 祖父の彊さんは、生前、原田さんに「人は、自分の中で決着すべき葛藤を、他人の支配や富の独占といった違う欲望に置き換え、自分自身の心を見つめることを怠っていることが多いのだと思う。争いの根源は、人の心にあるのだというのは確かにそうだ。心をつなぎ、手を携えれば世の中を動かすことができるはずだ」と教えてくれたそうです。

 講演の後、質疑の時間になり、躊躇している大人の参加者が多い中、健悟くんが、またまた発言をしてくれました。

 健悟くんが、こうして発言を行う背景には、ピースアクションinナガサキに参加するにあたり、原爆のことや日本の歴史、現在の世界情勢などを自分なりに勉強しておきたいと思い、図書館で関連書籍を借りたり、新聞を読んで、ノートを作成していたと知りました。(後段で紹介)

 ノートは原田さんにも見ていただき、原田さんもたいへん感心されておりました。

 午後13:00から、「2025ナガサキ虹のひろば」が開催されました。

 黙祷の後、新井ちとせ日本生協連会長の主催者あいさつがあり、雲仙市立小浜中学校吹奏楽部のドリル演奏でオープニング、女優の斉藤とも子さんの講演、高校生平和大使、子ども平和会議アピール文発表、長崎原爆被災者協議会の田中重光会長のあいさつ、八幡照子さんの広島からの被爆の証言があり、フイナーレは、長崎南山小学校コーラス部の合唱でした。

 斉藤とも子さんは、映画「ひめゆりの塔」に出演、また、井上ひさし作「父と暮らせば」に出演し、被爆者を演じてから、これをきっかけに被爆者と出合い、原爆小頭症患者と家族の会「きのこ会」を知り、その後交流が始まり、現在に至っているとのことでした。

 また、福島原発告訴団団長の武藤類子さん(「原発のない福島を!県民大集会」発足当時の呼びかけ人で現在はアドバイザー)との交流もあるとのことから、武藤さんが、2011年9月19日に東京の明治公園で開催された「さようなら原発」集会で話されたアピール文の紹介や東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きたとき、被爆者たちは自分のこと以上に福島の人たちを心配し、避難先の学校で子どもたちが差別されていると聞いて「その学校に行って、放射能は移らないからバカな差別はやめろと言いたい」という人もいたといったお話や原発訴訟の裁判の傍聴に行くと、原爆症認定訴訟と同じことがくり返されていて、被爆者たちから、「今こそ、あなたが伝えなければいけない」と言われているような気がしましたといったお話もされ、福島の原発の問題についてもたくさん触れていただきました。

 休憩時間に、健悟くんが、偶然、斉藤さんに出会い、「ボク、福島から来ました」といったとのことで、講演の後、私たちの座席まで来て、あいさつをいただき、記念撮影に応じていただきました。

 三日目は、朝から大雨、「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」のメイン会場は、遺族や人数に制限があるとのことで、サテライト会場の一つ「出島メッセ」(2021年にできたコンベンション施設)の特設会場で、献花をさせていただきました。

 

 帰りの折り返し便の長崎空港への到着が遅れ、1時間遅れの出発となってしまいました。結果、予定した新幹線に間に合わず、9日が、お盆帰省のピークでしたので、新幹線の混雑に不安を感じながら、東京駅に向かいましたが、指定席は満席ながら、比較的自由席が空いており、座ることができました。福島には、予定より40分ほどの遅れで、無事到着。

 今後は、健悟くんのように、参加する子どもさんに、事前学習をしていただくような企画の必要性を感じたピースアクションとなりました。

【健悟ノートの一部】

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